東京高等裁判所 昭和38年(う)2441号 判決
被告人 上石九州男
〔抄 録〕
所論は、原判決は被告人が原判示交さ点を左折するに際し、左側フエンダーミラーを見るなどして左側ないし左後方の安全を確認したうえでハンドルを左に切る業務上の注意義務があるのに、これを怠つて左折進行した点をとらえて、被告人に対し原判示山田立の死亡について業務上過失致死の責任を問うているのであるが、原判示状況のもとにおいて、被告人には原判示の注意義務はなく、従て、右山田立の死亡の結果について過失責任を負うべきいわれはない、というのである。
さて、原判決は、被告人に対する原判示注意義務を認める前提として、先ず、被告人が進行してきた道路(原判決に「この道路」とあるのは表現として明確さを欠くが、行文の前後の関係をたどれば、被告人が当時進行してきた原判示道路を指称するものと解すべきである)は、山陽道の幹線であつて、車両の通行が頻繁であり、ことに、被告人は、原判示交さ点手前で山田立(当時一六年で高等学校在学中)の乗車する足踏自転車を追い抜いたばかりであつたから、かかる場合、ハンドルを急に左に切つて自車を車道左側端に近づけ過ぎると、自車左側あるいは、左後方を通行中の軽車両と自車とを接触させる虞れのあることを、あげているわけである。ところで、被告人が本件の場合、急にハンドルを左に切らざるを得なくなつた事情については、原判決も自ら認定しているように、被告人は原判示交さ点を左折するに際し、自車の車長を考慮して、やや大廻りして左折しようとしていたのであるが、折柄、下関方向から原判示旭橋方向へ同交さ点を右折しようとして来た大型トラツクが交さ点中央にあるボールを避けて、右内小廻りするため、急にハンドルを右に切つて進行してきたため、被告人は対向してくる右大型車との接触の危険を避けるため、自車ハンドルを急に左に切らざるを得なかつた、というのであつて、そのことじたいは、原判決もいうように正常な運転といわざるを得ないわけである。(実は、原判決は、本訴交通事故に関する考察と題する説明において、被告人が前記の如く原判示交さ点でハンドルを急に左に切らざるを得なくなつたことは、正常な運転と考えられるとする一方、更に、その後段において、本件の場合、被告人としては、ハンドルを切らずに急ブレーキをかけて停車すべきであつたともいい、明らかに前後矛盾する説明をしているのであるが、後段の説明は、原審弁護人の期待可能性を欠く旨の主張に対する判断として、仮定的になされたものと認められるのであるから、この点をとらえて、原判決に理由そごの違法があるものとは、いえない。なお、被告人が前記左折の途中、急停車した場合には原判示交さ点の状況に鑑み前記対向車と接触の危険のあつたことは、被告人が当公判廷において供述しているとおりである。)そこで、原判決が被告人に対し原判示注意義務違反を認めたことの当否は、専ら、被告人が原判示交さ点手前で、山田立の乗車する足踏自転車を追い抜いたばかりであつたから、前記の如く左折するに際しては、特に、左側ないし左後方の安全を確認すべき注意義務があつた、とする原判決の判断の当否が問題となるわけである。(なお、当時、被告人の進路左側及び左後方には、山田立の乗車する足踏自転車を除いて他に通行中の車両等の存在しなかつたことは、本件記録上明らかなところであり、本件においては、被告人の進行してきた道路が山陽道の幹線であつて、車両の通行が頻繁であつたとの事情の如きは、本件事故に対する被告人の過失責任を論ずるについて、格別に影響を持つべき事情でなかつたことは、原判決が本件交通事故に関する考察の項において専ら山田立の足踏自転車との関係において本件の事故責任を論じていることに徴するも知ることができる。)然るに、原裁判所が取り調べた証拠、特に、原判決引用の被告人の原審公判廷の供述並びに司法警察員及び検察官に対する各供述調書、原審における幾度俊之、加藤裕敬に対する証人尋問調書、司法警察員作成の昭和三六年六月一九日付実況見分調書に、当審における事実調の結果、特に、被告人の当公判廷の供述、当審における検証調書を併せ考えれば、当時、被告人が進行してきた原判示旭大橋から、同大橋西詰交さ点に至る道路は、約九度の下り勾配の歩車道の区別のないアスフアルト舖装道路であるが、被告人は、原判示交さ点手前三〇米位の地点で左折の方向指示器を点滅して進行中、同所から約八米位進行した後、すなわち、右交さ点手前約二一、六米位の地点で、山田立の乗車する足踏自転車の右側を追い抜いたのであるが、当時被告人の運転する大型貨物自動車の速度は時速約三〇粁位であり、右山田の足踏自転車の速度は、時速約一〇粁位であつたことが認定できるわけであり、更にまた被告人は山田を追い越した後も左折の方向指示器を点滅しており、原判示交さ点手前で時速約一〇粁位に減速し、歩道との間に約一米位の間隔をとつて左折の行動に移つたことも又明らかなところである。してみれば、被告人としては、前示の如く、原判示交さ点手前約二一、六米の地点において、山田の乗車する足踏自転車を追い抜き、先行車として採るべき措置である方向指示器を点滅しており、しかも、自車と右自転車の速度とを比照して計算し、被告人が原判示交さ点を左折しようとした当時、自車左側、あるいは左側後方直近を山田の乗車する足踏自転車が接近して進行し、自車が左折の際これと接触する危険のあることを予見しなかつたとしても、それはまさに然るべきことであつたというべきである。従て、本件の場合、被告人としては、左折進行するに際し、後方の車両に対し、方向指示器により左折の合図をすれば足りたものというべく、特に、その際原判決のいうように山田立の乗車する足踏自転車との関係において、左側フエンダーミラーを覗くなどの方法により、更に左後方の安全を確認すべき注意義務が要求されるものとは考えられない。(そして、本件の場合、被告人が左折の行動に移つた当時、その左側及び左後方には山田立の乗車する足踏自転車を除いて他に通行する軽車両等の存在しなかつたことは既に見たとおりである。)ところで、この点について、原判決は、本件被害者は、友人の幾度と共に、自転車で先になり後になりして下校し、幾度に追い越され、被告人の車に追い抜かれ、相当の速度で本交さ点に入り、被告人の車の左折の合図を知り得たであろうと推察されるにかかわらず、被告人の車の荷台後部附近左側を併行して左折しようとしたのであるから運転方法が慎重ではなかつたといえるかも知れない、といいながら、「わが国では歩行者や足踏自転車の運転者は大部分が自動車の運転経験がない。従つて自動車の運転者からは、これらの者を、道路交通法の智識もなく、自動車の性能も知らず、いわば交通無能力者として扱わなければならない。従つて、運転者としては、予見不可能な突発的行動の場合を除き、これらの者の致死傷の結果につき刑事責任を負わなければならない」として、それは、わが国後進性のなせるわざであるというのである。ところで、注意義務の前提は、結果予見の可能性である。従つて、予見不可能な突発的事故に対して過失責任を問い得ないことは当然のことであつて、ここで、わが国の後進性などということを引き合いに出すまでのことはないはずである。もつとも、原判決のこの点の説明は、自動車運転者としては、およそ発生することの可能なあらゆる事態を予測して(但しそれは事後の判断であろうが)、これに対処する万全の運転方法を講ずべきである、としたものかも知れない。しかし、原判決のかかる見解にはとうてい左担することを得ない。注意義務の前提としての予見可能性は、一般人が特定の事情の下で結果回避手段を採りうるかということの前提をなすものであるから一般人を標準として客観的な予見可能性を論ずれば必要にして充分なものというべく、法の要求する注意義務が客観的であるといわれるのも又この意味である。本件の場合、既に原判示交さ点の手前二一、六米位の地点で追い抜かれた山田立が、被告人の方で左折の合図をしているのに、更に著しく加速して自動車に追いつき、その左側を並進するというような事態は、客観的に予見不可能というべきである。もつとも、原判決はここで、被告人において左打の合図をしても、わが国の自転車乗りはこれを無視するのが一般である、というのである。然し、原判決は、ここで、前示の如く被告人が山田立の乗車する足踏自転車を追い抜いた地点及び被告人の自動車と山田の自転車との双方の速度関係を看過しているものといわなければならない。もつとも、本件の場合、被告人の方で、前示地点で山田の乗車する足踏自転車を追い抜いた後、左折の行動に移り徐行している間、山田の方で、被告人の自動車に多少接近することは、被告人としても、当然豫見し得たことであろうが、この場合においても、特に、後続する軽車両が自車と並進若しくはその左側直近を進行する事態の予見不可能な本件の如き場合、先行車としては、左折の合図をすることにより後続車両に対し警告を与えることにより危険防止の措置としては必要にして足れるものというべく、その際わが国の自転車乗り等がいわゆる交通無能力者であるとして、先行車の左折の合図を無視して暴走してくる事態の生ずることまでも予見し、かかる事態に備えて、特に原判示の如く左後方に対する安全確認の義務が課せられるものと解することは、却つて、道路交通法の精神に副わないばかりか、高速度交通機関としての自動車の社会的効用をも無視する所以であり、延いては自動車運転者に対し、過酷な結果責任を認めることともなりかねない。公衆一般としても、自動車による危険防止について協力すべき責務を負担する場合のあることは、既に一般に指摘されているとおりである。原判決のこの点の説示には、にわかに賛同し難いものがある。更に附言すれば、本件の被告人の如く、対向車との接触を避けるため、急遽左に大きくハンドルを切つて事故を避けようとする場合、自動車運転者として、左側フエンダーミラーを見るなどして左側ないし左側後方の安全を確認するまでの余裕を持ち得るか否かもかなり疑問の存するところであるばかりでなく、被告人の乗車していた大型貨物自動車の如く運転席の高い車にあつては、その右側運転席の被告人の位置から左側フエンダーミラーを見た場合、車体左側後方に接近した自転車の如きは死角の中に入り、フエンダーミラーによりこれを発見することは不可能であり(当審検証調書参照)、本件の場合山田立の行動は遂にこれを明確にすることを得ないところであつて、被告人が前記左折当時、山田立の足踏自転車が前記死角の中に入つていなかつたと断定するに足りる証拠はないのである。以上の次第であつて、原判決が本件の場合、被告人に対し、左折するに当り左側ないし左側後方の安全を確認すべき義務があるものとして、この前提のもとに被告人に本件事故に対する過失責任を肯定したことは所論の如く事実を誤認したか、法令の適用を誤つたものというべく、原判決のこの点の瑕疵は判決に影響を及ぼすこと明らかなものというべく、原判決は、既にこの点において破棄を免れない。論旨は理由がある。
よつて、刑訴法三九七条一項により原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い被告事件について更に判決する。
本件公訴事実は、起訴状に記載するとおりであつて、被告人の自動車が山田立の乗車する足踏自転車に接触し、同人を路面に強く転倒させ原判示の如く同人を死亡するに致らしめたことは原裁判所の取調べた証拠上明らかなところであるが、右事故につき被告人の過失責任を問うべき前提となる原判示注意義務を肯定すべき証拠の認められないことは、既に説明したとおりである。なお、被告人が左側方面に対する見透しのきかない原判示交さ点を左折するに際し(原判示交さ点の左側方面の見透し状況については、被告人の当公判廷の供述並びに司法警察員作成の実況見分調書参照)、慎重を欠く行動のあつたことは、被告人の当公判廷の供述によるも否定し難いところではあるが、そのことと本件山田立の足踏自転車との接触事故との間に因果関係の存することを証拠上明確にすることを得ない本件においては、この点をとらえて本件事故に対する被告人の過失責任を断定することを得ず、他に、右被告人の過失責任を肯定するに足る証拠を発見することはできない。
以上の次第であるから、本件公訴事実については、刑訴法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をすることとし、主文のとおり判決する。
(三宅 寺内 谷口)